特定非営利活動法人「ふくしま支援・人と文化ネットワーク」


2017.11.07

ふくしまスタディツアー報告 2017.11.4〜11.5
紅葉の郷をいまだ覆う放射能。ふくしま復興の真実を探して

 今年で6回目となるNPO主催の「ふくしまスタディツアー」を11月4・5日に27人の参加を得て開催しました。福島の紅葉はちょうど見頃。2日目は晴天に恵まれ、ツアーバスの車窓からは福島が本来もっている美しい自然の姿を堪能することもできました。

再び「安全・安心」を語るプロパカンダ施設

 今回は、約100億円の費用をかけて2016年夏に三春町にオープンした「福島県環境創造センター」の視察から始まりました。  その前に、福島原発告訴団団長の武藤類子さんから福島の現状と創造センターの問題点などのレクチャーがありました。センターには本館、研究棟、交流棟(コミュタン福島)がありますが、一般の人が利用できるのは交流棟だけです。ここで原発事故とその後の対応状況がパネル、映像などで説明されています。水素爆発などで破壊された福島第一原発サイトの精密なジオラマや、世界で2つしかないという全球型シアターの映像は目玉の一つです。
 シアターでの福島オリジナル映像番組はいくつか問題を含むものでした。原発事故によって大量に放出された放射能の危険性を語ることなく、自然界や電化製品、医療関係の放射能がたくさん存在していること、世界中の都市と比較しても福島の線量は高くないこと、除染すれば安心した生活が送られることなどを強くアピールしていました。部分的にはたしかに間違ってはいませんが、福島原発事故による人々の暮らしがどう変わったのかなどの説明はありませんでした。
 交流棟は、県内の小学5年生全員を対象にした必須見学施設に指定されています。ものごとを多面的に捉える術のない子どもたちは、原発事故の悪影響より安全神話を信じてしまう可能性があります。


「見えない雪が心を凍らせる」——阿部光裕住職の言葉

 紅葉が美しい三春を後にし、次の訪問地である福島市内の常円寺に向かいました。
 阿部光裕住職は原発事故直後、放射能に不安になる母親たちの声を聞き、行政が動きだす前に率先して街の除染に取り組みました。こうした活動がその後の行政による除染事業を後押ししたことは間違いありません。いまもなお、寺の敷地内には除染した土が山積みになっています。汚染土が入ったドラム缶の蓋を開けると計量計は瞬く間に危険な音を発していました。
 阿部住職はこの間の活動の経験から、福島の子どもたちが自分の言葉で物事を理解しそれを人々に伝える力をつけなければならないことを痛感し、無料で学習指導や英語教育など、子どもの能力向上に取り組む一般社団法人「ふくしま学びのネットワーク」を立ち上げ、専門家による講義などを実施しています。
 阿部住職は、3.11後の状況について、行政は県民が判断できる材料を提供していないと強く訴えていましたが、阿部住職らの活動は、市民の小さな力が連帯すれば行政を動かすことができることの証明でもあります。
「見えない雪(放射能)が心を凍らせる」という住職の言葉が心に残りました。

被ばく6年半を迎えた飯舘村——帰還政策は住民のためになっているのか

 福島市内で一泊したツアー一行は翌5日、昨年に引き続き、飯舘村に向かいました。
 飯舘の山々は美しい紅葉に覆われていましたが、ふもとをみれば耕作地の多くは相変わらずのフレコンパックに覆われていました。まずは、同村前田地区の区長、長谷川健一さんにこの1年の変化についてお話を聞きました。
 2016年4月に帰還可能になった村へ戻ったのは、約3000世帯ある飯舘村のうち211世帯の445人。ほとんどが高齢者ですが、本当に大丈夫なのか?という不安は常に付きまとっています。商店も医療(クリニックは週2回だけ)もまだ整っていませんが、来年開校予定の認定子ども園(幼稚園)と小中学校の統合学校には25億円、道の駅のオブジェには2000万円、今後県外からやってくると想定される大学生などのためのテニスコート4面を揃えたスポーツグランドには40億円の予算がついているとのこと。村の総予算は63億円ですが、住民側に目を向けていない予算配分に、使う順序が違うだろう…と長谷川さんは憤慨していました。
 村を回れば、至る所にフレコンパックが積まれています。今でもきのこなどの放射線量は高く、村のあちこちに設置されている放射能計量測定計の数値は高くて驚きました。現在、福島県内全域には2200万袋のフレコンパックが山積みされています。富岡の中間貯蔵施設に運搬される量は、年間50万袋にしかすぎません。全てのフレコンパックを運ぶには、何年かかるのかと思うと、気が遠くなります。そんな犠牲を強いられながらも、それでも村の人たちは試行錯誤しながら新たな道を歩んでいます。  誰も住んでいない、放置された大きな家々からは、声なき叫びが聞こえるようでした。

「希望の牧場」の牛たちが訴えるもの

 バスが次に向かったのは、福島第一原発から14km、現在も300頭の牛が飼われている浪江町の「希望の牧場」です。餌代や乾燥ロールなどの資材の経費はすべて寄付で賄っていますが、食料の提供も少なくなり、牧場を維持するのは厳しく、このままでいくと、牛の命は春まで持たないといいます。
 牧場主の吉沢さんたちは、原発事故の生き証人として、被ばく牛を殺処分せよという国の命令に異議を唱えて牛の世話をしてきました。哺乳類の被ばく影響調査をして、原発のない社会を目指していきたいとの思いも、資金がないために頓挫しています。復興事業は大学や企業に多額の補助金が下りますが、調査すればするほど放射能の影響が明らかになる牧場主の事業には、全く補助金や助成金がつきません。しかし、牛には放射能の影響と考えられる白斑が出ていることは確かです。
 原発事故直後は政治家も視察に来たようでしたが、今は誰も来ないといいます。スタッフの針谷さんの「牛を生かす意味が、分からなくなった」との言葉は、国から幾度も見捨てられたゆえの悔しさの表現でもあります。このままでは来年の春まで命が持たないかもしれない300頭の牛と、牧場全体に漂う、餌のパイナップルが発酵するすえた臭い——最後に強烈な印象を参加者に与えてふくしまツアーは主な行程を終了しました。
 夕方、東京駅に戻ると、全てのコインロッカーが封鎖され、異様な空気が流れていました。トランプ大統領の来日のために費やすお金はいくらなのでしょうか。国は使うべき予算の方向を間違えています。いまなお自主避難を続ける10万人の被災者、従来基準からはるかに高く設定された放射能許容値の中であえて故郷への帰還を選択した人々、そして牧場で生きながらえる牛たちもまた、原発事故の被害者であり、その生き証人なのです。彼らを支援することこそが、3.11からの再生・復興にとって最重要の課題であるはずです。