特定非営利活動法人「ふくしま支援・人と文化ネットワーク」





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「安全宣言」のもと福島で何が起こっているのか? 11.13荒木田岳氏講演会報告 (2016.11.18更新)

福島から世界に届け! 民の声 ~汚染・被爆・避難の現実~ (2016.10.24更新)

11月13日、荒木田岳氏(福島大学准教授)の講演会を開催します (2016.10.14更新)

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2016年度定期総会開催のお知らせ (2016.4.25更新)


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2016.11.18

「安全宣言」のもと福島で何が起こっているのか?
11.13荒木田岳氏講演会報告

 2016年11月13日、当NPOが主催した、荒木田岳氏(福島大学准教授)の講演会「『安全宣言』のもと福島で何が起こっているのか?──脱原発 脱被曝 地方自治のいま」。 『原発通信』がその様子をレポートしています。了解を得て転載します。

汚染土は野積みのまま。グリーンのシートでカモフラージュ

 先日の日曜日(13日)に明大で開かれたNPO「ふくしま支援・人と文化ネットワーク」主催の集いの報告です。
 集会は、いわき市出身のイラストレーターでミュージシャンの「イサジ式」さんによる「帰れない町」「重荷を下ろす時」などの歌で幕を開けました。イサジ式さんは、福島の今を考えると、今の自分にはとても明るい歌など歌えないと語りました。
 神田香織さんから、先月10月15~16日にNPOが主催した「いわき市、飯舘村を巡るふくしまツアー」の報告がありました。
 除染を進め住民が帰還できるようにするという政府・県ですが、放射性物質で高濃度に汚染された飯館村の田畑には、除染で出た汚染土が黒いフレコンバッグに詰められうずたかく積まれたままになっており、一種異様な風景であったといいます。あるところでは黒いフレコンバッグの山では見栄えが悪いとでも思ってか、それに緑色のシートをかぶせ、あたかも自然に溶け込んでいるかのように見せかけていたとか。なんと姑息なやり方なのでしょう。
 いずれにしても人がいなくなって5年半以上が過ぎてしまいました。飯舘村の菅野典雄村長は「村に帰る」というが、はたしてそれは可能なのでしょうか。

「村」はもともと区画された土地のことではなく、人々の集団のことを意味していた

 荒木田岳さんは、地方制度史、地方行政論の研究者です。講演はまず、「村」とは何かというところから始まりました。日本ではいつごろ「村」が存在していたかは定かではないのですが、平安時代のものとされる木簡には「村」という字が見えるので、もうその頃にはあったといえます。いま私たちは「村」と聞くと一定の地域や土地を思い浮かべます。しかし、荒木田さんは、昔は土地(一地区)を言い表すのではなく、人々の集団を指す言葉であったと指摘します。
 なるほど「原子力ムラ」という使われ方と同じです。原子力ムラは面積をもっていません。あくまで人の集団を指す言葉です。本来の「村」という言葉に近い使われ方です。
 かつて「村」は「人々の集団」のことを意味していたので、人々は必ずしも土地に縛られていたわけではなく、干ばつなど自然災害があると、村自体が集団ごと「移動する」こともありました。かつてよくあった「飛び地」もその例です。どんなに距離は離れていても、その村の人々が生産活動に関与する限り、そこは村の一部という認識だったのです。
 荒木田さんによれば、そもそも「村=一定のまとまった区画」という概念が定着したのは明治初年ころから。それは地租改正とセットになっており、明治新政府が人々を統治するうえでの都合からでした(統治の客体へ)。
 さて、いま福島では、政府・県が一体となって避難住民の帰還策動を展開しています。事故から5年半、もう安全になったから元の町や村へ帰還しても大丈夫――いや、帰還せよと圧力をかけてきています。その圧力は自主避難した人たちへの住宅補助打ち切り策などでより露骨になってきています。
 例えば原発事故で全村避難となった飯館村。菅野村長はしきりに「飯舘に帰還する」「ゴーストタウンにしたくない」と言うのですが、ここで「村を守る」というとき、それはいったい「土地を守る」ことを意味するのか、それとも「住民を守る」ことを指しているのか。そこが重要なポイントになります。
 村を守るといいながら、いまだ高線量の村に住民に帰還を促すのは、自ら進んで被曝を選択していることになると、荒木田さんは指摘します。

「安全宣言」のもとで福島で何が進行しているのか

 いま東電、国、県が一体となって進める福島の「安全宣言」とはつまり、「原発事故などたいしたことはなかった」と住民に思わせるキャンペーンにすぎません。しかし、思い出してほしい。事故当時、いったい何が起きたのか――。
 事故前までは、ヨウ素剤配布などの基準として1000cpm(cpmは放射性物質による表面汚染を測定するときに使われる単位。count per minute)というスクリーニング基準値が設けられていました。この基準値が決められた背景には、1999年に茨城県東海村で起きたJCOの臨界事故があります。ところが、福島原発事故が起きてスクリーニングを始めると、1万cpmを超える例がかなりの割合で発生したため、県は基準値を勝手に10万cpmまでに引き上げ、それがそれ以降、全国的な基準になってしまいます。
 本来であれば、ヨウ素剤配布どころか、ただちに避難しなければならない数値なのに、政府や県が行ったのは「直ちに健康に影響はない」と念仏のように唱えることだけでした。
 原子力災害対策特別措置法(原災法)は通常の災害対策法と違い、事故が起きたらどうするかということではなく、「予防原則」に立ったものとして制定されています。
 しかし、3.11ではこうした法の趣旨とかけ離れたところで、さまざまな情報操作が事故当初から行われていました。県は放射線量のデータを収集していたにもかかわらず、それを秘匿、隠蔽し、結果的に住民の避難を遅らせました(福島県は事故から2年経って、事故当時の放射線量データを消去していたことを認める)。
 また、ルール(規制値など)を勝手に変更し、許容線量を20ミリシーベルトにまで上げました。そこには、起きてしまったことをいかに小さくみせ、なきがごとくに扱おうとする「作為」がありありでした。
 現在もなおこうした「作為」は続いています。県内には「オール福島で復興だ」との掛け声が日に日に大きくなり、同調圧力の高まりのなか、帰還しないのはけしからん的な風評が出てきていると、荒木田さんは指摘します。
 当日配られた資料には、福島市の「市政だより」というものがありました。事故直後から「チェルノブイリと違い健康リスクは全くない」とのキャンペーンがされていた証拠です。平成24年度の福島県職員の採用試験問題(論文課題)の驚くべき設問も紹介されました。  【東日本大震災や原子力発電所事故の影響により福島県外への人口流出が見られるが、この問題に対して今後どのように取り組むべきか、あなたの考えを述べなさい】
 職員の思想をチェックするとも受け取れる出題です。また、原子力マフィアの回し者山下俊一の2011年6月当時のインタビュー記事も資料の中にありました。この山下の「論法」、いつ読んでも何が言いたいのかわからなくなるのです。私の読解力の問題ではないと思うのですが、その記事もそうでした。
 荒木田さんは、この10月に行なわれた「6国清掃2016」についても触れました。
 「6国清掃2016」とは、浜通りを縦貫する国道6号をみんなで掃除しようという運動です。
それを報じた一つの記事があります。
 それによると、この清掃イベントの主催団体はNPO法人ハッピーロードネット。昨年は、このイベント開催に対して、子どもたちを被曝させるのかと抗議のメール等が全国から多数寄せられたこともあり、今年は開催日程が直前まで告知されなかったとか(抗議が来るのを回避するためでしょう)。
 取材に行った記者が線量を測ると、とても政府が言っているように線量は下がっていない。それを指摘すると会の代表者は、 「ここは安全です。国や県が安全だと言って帰還してもいいことになっているのに、なんでマスコミはそういうことを無視するのでしょう? 危険、危険と煽り立てて恥ずかしくないのですか? 私たちはここで暮らす以外に生きる道はないんです。復興の邪魔をするのですか?」と答えたといいます。
 荒木田さんは指摘します。
 「国や県が安全ということと、『ここは安全』ということは必ずしもリンクしない。また『ここは安全』という言葉と、『私たちはここで暮らす以外に生きる道はない』という言葉もまた論理的にはつながらない」
 実は「6国清掃2016」イベントの主催者らも内心は不安なのです。
 「子供の気持ちを考えてほしい。国が安全だと言っていて、安心して暮らしているのに外部の雑音のせいで気持ちが揺らいでいます」  安全は科学・事実の問題ではなく、いつの間にか「気持ち」の問題にすり替わってしまっているのです。『みんなでやっぺ!! きれいな6国(ろっこく)』との掛け声のもと、子どもたちにわざわざ被曝させているのが現状だと、荒木田さんは強調しました。
 ちなみにこのイベントの後援には、昨年までは東電も名を連ねていました。

●「6国清掃2016」を報じた記事
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20161023-00074051-playboyz-soci

「脱原発」ではなく「脱被曝」という考え方が重要

 一方、脱原発を主張する人々の中にも、今福島で起きている被曝問題に関しては結構「見てみぬふり」をしている人たちがいるとの問題提起もありました。特に研究者と呼ばれる人にこのタイプが多いとか。
 飯舘村をはじめ福島の各地では、放射性物質の農産物の吸着を防ぐための研究などが進められていますが、「農産物へのセシウムの吸着は防げても、農作業にあたる人々の被曝は減らすことができない」と、荒木田さんは言います。
「『脱原発』を主張するだけでは現状の被曝問題が見えず、結果的に原発事故の深刻さを過小評価してしまうことにもなりかねない。あくまでも『脱原発』ではなく『脱被曝』を起点に事態をとらえることが重要だ。『脱被曝』は結果的に『脱原発』を含む思想なのだ」
 というのが、荒木田さんの言いたいことだと思われます。
 「オール福島で復興」「風評被害だ」「食べて応援」ということを声高に言うことでいったい誰が得をするのか、と荒木田さんは問いかけます。福島の食材を購入することは、たしかに生産者の生計を助けることになりますが、一方で、本来は東電が賠償すべき農水産物被害を軽減させ、結果的に東電を助けることつながるという指摘も重要でした。
「オール福島で復興」というキャンペーンは、多様な人々の多様な価値観を抑圧するものです。こうした同調圧力の高まりの中で、福島の人々は自己抑圧、自己抑制を強いられています。そしてそれは「善意の人の沈黙と無関心」によってさらに増幅させられている、と荒木田さんは報告します。
 何気ない、日常の生活がある日突然奪われてしまうのが原発事故です。そうした何気ない生活が奪われてしまった人々の生活や思いを出発点にし、一般論や「統計」の数字だけで判断するのではなく、「自分の足でデータを探し、自分の目で見て判断することの大切さ、重要さ」を荒木田さんは指摘しました。
 「村」には、災害にあったとき住民たちが一緒になって苦しみを分かち合い、それを乗り越えていった歴史があります。共に苦しみ、連帯してそれを乗り越える、つまり「不幸を分かち合う」社会を、これから私たちはどのようにしたらめざすことができるのか。それを被災者の一人としてこれからも考えて続けていきたいと述べ、荒木田氏は講演を終えました。